2015年1月23日金曜日

本日の宗主国様・属国オチ

中国国営紙が記事ねつ造 米誌記者インタビューをプロパガンダ記事に


死んだ父が理系出身だったので、わしを理科好きにするためにクリスマスのプレゼントに買い与えられたのですが、わしは全然これに興味を示さず、むしろ妹がこれを使って毎日色々作って遊んでいました。
そのせいかわかりませんが、妹は中学時代から電気いじりが大好きで、日本橋に親父と行っては色々部品を買ってきては真空管アンプなどを作り、国立大学の工学部電気科に現役で入ることができました。
先日復刻版が販売されているのを見つけて、ああそういえばこれ妹が大好きだったなぁと思い出しました。
小学校高学年から中学生お子さんを理系好きにするのにいいおもちゃだと思います。

↓この読者レビューが秀逸
量子論は、ニュートン以来の古典理論と異なり相反するレベルの存在を許す。, 2015/1/17

著者は、インド出身の量子物理学者でありヒンドゥーの教えを知悉している。
プルシャ(可能性領域=無形領域=無時間=過去・現在・未来の同時存在=確率的)及びプラクリティ(あらゆる事物に展開できる可能性=物理的原理=時間・空間の領域)である。
それは、仏教(禅)とも通底する。
無形領域は、「空」、「空性」でありこの二つの関係性を縁起(原因と結果の相関性)という。
ニュートン的思考では、その物体の一つの側面しか見ることができないが無形領域を視野に入れると多くの側面を同時に処理することができる。
公案に、「隻手の声」というのがある。一方の手は、無形領域にある。
道元は、「一方を証するときは一方はくらし」といった。
無形領域は、隠れているが私たちが「観察する」(=対象化する)とき事物が粒子として場所が特定される。「収束」して顕れる。空色同時現成である。
「波」は、拡がることができ同時に二つ以上の場所に存在することが可能である。
「粒子」は、一つの定まった場所(時空)に存在する。
「波」は、無形領域に存在しそこは時間・空間がなく過去・現在・未来が同時存在する。
「粒子」(=物質)は、現実の世界で時間・空間・経過する時間の物理的原理が支配している。
無形領域に於けるコミュニケーションは、媒介物を必要としない。非局所性(=前後の関連性がない)であり瞬時に起きる。その領域は、ワンネス(=一)である。
ニュートン的思考とは異なり量子論・禅は、二つの相反するレベルの存在を許す(=双対性)。
量子的跳躍と「悟り」は似ている。
そこに至るには、一方でフォーカスし同時に直観・感覚が開かれている必要がある。
ものごとが連続して見えるのは、私たちの「予測の産物」にすぎない。
私たちの時間・認識・記憶も、ニュートン的思考の産物である。
生命は、無限の可能性領域(=無形領域)から自己創出(オートポイエーシス)により生まれた。
同時に生まれた環境(非生命)は、それを持たなかった。ワンネスは、経験するためそこから分離してこの世を創った。
生命(含む単細胞)誕生以前は、可能性領域のみで時間・空間はなかった。
なので、生命誕生以前(ビッグバン以降)の歴史(時間・空間)は後付けで作られた。ビッグバン以降がなければ生命誕生は有り得ないからである。マイクロ波背景輻射は、ビッグバンの記憶といえ私たちはそれを見ることができる。
生命は、無形領域と物理的世界を繋いでいる。
ニュートン物理学では、月はいつでも具体物として存在しているが量子物理学では、毎瞬毎瞬月は存在しているわけではなくその可能性だけがある。「観察」しないと「収束」しないのである。私たちは、無形領域を出たり入ったりしている。ただ、現実が記憶・予測と余りにも近いので連続しているように見えるのである。だが、何もかも常に変化しているのだ。
ゴスワミ博士は、無我の境地を「量子的自己」と名付けている。
ダイナミックで固定化されていない<わたし>である。それが何であるかは定義できない。
創造的・非連続的・共時的・総合的・ノンローカル・トランスパーソナルで循環する階層である。参考までに、日常のわたしは、論理的・連続的・決定論的・線形的、ローカル・個人で単純な階層である。
「感情」は、思考のなかの観念や思い込みの影響即ち脳によって「五感による感覚」に意味づけされたものである。五感+意味(思考)の産物なので元々の純粋な五感感覚に敏感でなければならない。
「感情」にもビッグバンののような歴史がある。それは、時間を遡って「収束」したものである。
盛り沢山であり、この辺りで止める。
私たちは、ニュートン的世界観の中に住んでいる。
僅かに、仏教(禅)が「空」、「空性」をいうが禅は、説明を嫌う。
なのでそれは、理屈ではなくなんとなくわかるレベルにすぎない。
ゴスワミ博士の、「空」「色」の関係を「量子論における波でもあり粒子でもある」という説明は、極めて論理的で腑に落ちる。
理論は、進歩しても古人の直観は確かそうだ。

本日の国際情勢オチ

決算書にインフラ、住民サービス…イスラム国はテロ組織ではない、もはや国家だ

ミャンマーの極右仏教僧、人権調査の韓国人国連要人を売春婦と罵倒

コリァツボにはまりすぎだな。

オバマ米大統領、訪米のイスラエル首相と会う予定なし

沖縄県知事扱いだな。
それにしてもいくらオバマがリベラルといっても、米帝のシオニストユダヤ勢力の地位低下はどうなってるんだって感じだな。

サウジのアブドラ国王、死去


死んだ父が理系出身だったので、わしを理科好きにするためにクリスマスのプレゼントに買い与えられたのですが、わしは全然これに興味を示さず、むしろ妹がこれを使って毎日色々作って遊んでいました。
そのせいかわかりませんが、妹は中学時代から電気いじりが大好きで、日本橋に親父と行っては色々部品を買ってきては真空管アンプなどを作り、国立大学の工学部電気科に現役で入ることができました。
先日復刻版が販売されているのを見つけて、ああそういえばこれ妹が大好きだったなぁと思い出しました。
小学校高学年から中学生お子さんを理系好きにするのにいいおもちゃだと思います。

↓この読者レビューが秀逸
量子論は、ニュートン以来の古典理論と異なり相反するレベルの存在を許す。, 2015/1/17

著者は、インド出身の量子物理学者でありヒンドゥーの教えを知悉している。
プルシャ(可能性領域=無形領域=無時間=過去・現在・未来の同時存在=確率的)及びプラクリティ(あらゆる事物に展開できる可能性=物理的原理=時間・空間の領域)である。
それは、仏教(禅)とも通底する。
無形領域は、「空」、「空性」でありこの二つの関係性を縁起(原因と結果の相関性)という。
ニュートン的思考では、その物体の一つの側面しか見ることができないが無形領域を視野に入れると多くの側面を同時に処理することができる。
公案に、「隻手の声」というのがある。一方の手は、無形領域にある。
道元は、「一方を証するときは一方はくらし」といった。
無形領域は、隠れているが私たちが「観察する」(=対象化する)とき事物が粒子として場所が特定される。「収束」して顕れる。空色同時現成である。
「波」は、拡がることができ同時に二つ以上の場所に存在することが可能である。
「粒子」は、一つの定まった場所(時空)に存在する。
「波」は、無形領域に存在しそこは時間・空間がなく過去・現在・未来が同時存在する。
「粒子」(=物質)は、現実の世界で時間・空間・経過する時間の物理的原理が支配している。
無形領域に於けるコミュニケーションは、媒介物を必要としない。非局所性(=前後の関連性がない)であり瞬時に起きる。その領域は、ワンネス(=一)である。
ニュートン的思考とは異なり量子論・禅は、二つの相反するレベルの存在を許す(=双対性)。
量子的跳躍と「悟り」は似ている。
そこに至るには、一方でフォーカスし同時に直観・感覚が開かれている必要がある。
ものごとが連続して見えるのは、私たちの「予測の産物」にすぎない。
私たちの時間・認識・記憶も、ニュートン的思考の産物である。
生命は、無限の可能性領域(=無形領域)から自己創出(オートポイエーシス)により生まれた。
同時に生まれた環境(非生命)は、それを持たなかった。ワンネスは、経験するためそこから分離してこの世を創った。
生命(含む単細胞)誕生以前は、可能性領域のみで時間・空間はなかった。
なので、生命誕生以前(ビッグバン以降)の歴史(時間・空間)は後付けで作られた。ビッグバン以降がなければ生命誕生は有り得ないからである。マイクロ波背景輻射は、ビッグバンの記憶といえ私たちはそれを見ることができる。
生命は、無形領域と物理的世界を繋いでいる。
ニュートン物理学では、月はいつでも具体物として存在しているが量子物理学では、毎瞬毎瞬月は存在しているわけではなくその可能性だけがある。「観察」しないと「収束」しないのである。私たちは、無形領域を出たり入ったりしている。ただ、現実が記憶・予測と余りにも近いので連続しているように見えるのである。だが、何もかも常に変化しているのだ。
ゴスワミ博士は、無我の境地を「量子的自己」と名付けている。
ダイナミックで固定化されていない<わたし>である。それが何であるかは定義できない。
創造的・非連続的・共時的・総合的・ノンローカル・トランスパーソナルで循環する階層である。参考までに、日常のわたしは、論理的・連続的・決定論的・線形的、ローカル・個人で単純な階層である。
「感情」は、思考のなかの観念や思い込みの影響即ち脳によって「五感による感覚」に意味づけされたものである。五感+意味(思考)の産物なので元々の純粋な五感感覚に敏感でなければならない。
「感情」にもビッグバンののような歴史がある。それは、時間を遡って「収束」したものである。
盛り沢山であり、この辺りで止める。
私たちは、ニュートン的世界観の中に住んでいる。
僅かに、仏教(禅)が「空」、「空性」をいうが禅は、説明を嫌う。
なのでそれは、理屈ではなくなんとなくわかるレベルにすぎない。
ゴスワミ博士の、「空」「色」の関係を「量子論における波でもあり粒子でもある」という説明は、極めて論理的で腑に落ちる。
理論は、進歩しても古人の直観は確かそうだ。

本日の健康オチ

彼女が初めてフェラチオしてくれたんだけど……

関連:クンニせずにフェラだけさせる男を殺したい!

関連:若者の「クンニ離れ」が進行してるってホント?私にも一言いわせて

引きこもってたから病院に連れて行かれた結果wwwwwwwww高機能広汎性発達障害とか言われたんだけど、つまりどういうことだってばよ?

あんたのママがちゃんと国民年金を納付してくれていたら、あんた、労働から一生半分に自由になれる可能性がある。
ニートに朗報!広汎性発達障害やアスペルガー障害で障害年金がもらえるよ!
年支給額は966,000円(1級)772,800円(2級)だ。
正直96万円という数字は都市部の高齢者単身の生活保護世帯と同額ぐらい(田舎の市町村ならもっと上)。
あと医療費の一部負担金が全額免除とか、いろいろ特典がある。
これぐらいでは豊かな生活できないけど、後はバイトでも内職でもしてなんとかしろ。

特別さびしい夜に楽しみたい「プレミアムTENGA」が登場

少子高齢化を防ぐため、こういう商品には少子化対策特別消費税を100%かけるように財務省に提案したい。


死んだ父が理系出身だったので、わしを理科好きにするためにクリスマスのプレゼントに買い与えられたのですが、わしは全然これに興味を示さず、むしろ妹がこれを使って毎日色々作って遊んでいました。
そのせいかわかりませんが、妹は中学時代から電気いじりが大好きで、日本橋に親父と行っては色々部品を買ってきては真空管アンプなどを作り、国立大学の工学部電気科に現役で入ることができました。
先日復刻版が販売されているのを見つけて、ああそういえばこれ妹が大好きだったなぁと思い出しました。
小学校高学年から中学生お子さんを理系好きにするのにいいおもちゃだと思います。

↓この読者レビューが秀逸
量子論は、ニュートン以来の古典理論と異なり相反するレベルの存在を許す。, 2015/1/17

著者は、インド出身の量子物理学者でありヒンドゥーの教えを知悉している。
プルシャ(可能性領域=無形領域=無時間=過去・現在・未来の同時存在=確率的)及びプラクリティ(あらゆる事物に展開できる可能性=物理的原理=時間・空間の領域)である。
それは、仏教(禅)とも通底する。
無形領域は、「空」、「空性」でありこの二つの関係性を縁起(原因と結果の相関性)という。
ニュートン的思考では、その物体の一つの側面しか見ることができないが無形領域を視野に入れると多くの側面を同時に処理することができる。
公案に、「隻手の声」というのがある。一方の手は、無形領域にある。
道元は、「一方を証するときは一方はくらし」といった。
無形領域は、隠れているが私たちが「観察する」(=対象化する)とき事物が粒子として場所が特定される。「収束」して顕れる。空色同時現成である。
「波」は、拡がることができ同時に二つ以上の場所に存在することが可能である。
「粒子」は、一つの定まった場所(時空)に存在する。
「波」は、無形領域に存在しそこは時間・空間がなく過去・現在・未来が同時存在する。
「粒子」(=物質)は、現実の世界で時間・空間・経過する時間の物理的原理が支配している。
無形領域に於けるコミュニケーションは、媒介物を必要としない。非局所性(=前後の関連性がない)であり瞬時に起きる。その領域は、ワンネス(=一)である。
ニュートン的思考とは異なり量子論・禅は、二つの相反するレベルの存在を許す(=双対性)。
量子的跳躍と「悟り」は似ている。
そこに至るには、一方でフォーカスし同時に直観・感覚が開かれている必要がある。
ものごとが連続して見えるのは、私たちの「予測の産物」にすぎない。
私たちの時間・認識・記憶も、ニュートン的思考の産物である。
生命は、無限の可能性領域(=無形領域)から自己創出(オートポイエーシス)により生まれた。
同時に生まれた環境(非生命)は、それを持たなかった。ワンネスは、経験するためそこから分離してこの世を創った。
生命(含む単細胞)誕生以前は、可能性領域のみで時間・空間はなかった。
なので、生命誕生以前(ビッグバン以降)の歴史(時間・空間)は後付けで作られた。ビッグバン以降がなければ生命誕生は有り得ないからである。マイクロ波背景輻射は、ビッグバンの記憶といえ私たちはそれを見ることができる。
生命は、無形領域と物理的世界を繋いでいる。
ニュートン物理学では、月はいつでも具体物として存在しているが量子物理学では、毎瞬毎瞬月は存在しているわけではなくその可能性だけがある。「観察」しないと「収束」しないのである。私たちは、無形領域を出たり入ったりしている。ただ、現実が記憶・予測と余りにも近いので連続しているように見えるのである。だが、何もかも常に変化しているのだ。
ゴスワミ博士は、無我の境地を「量子的自己」と名付けている。
ダイナミックで固定化されていない<わたし>である。それが何であるかは定義できない。
創造的・非連続的・共時的・総合的・ノンローカル・トランスパーソナルで循環する階層である。参考までに、日常のわたしは、論理的・連続的・決定論的・線形的、ローカル・個人で単純な階層である。
「感情」は、思考のなかの観念や思い込みの影響即ち脳によって「五感による感覚」に意味づけされたものである。五感+意味(思考)の産物なので元々の純粋な五感感覚に敏感でなければならない。
「感情」にもビッグバンののような歴史がある。それは、時間を遡って「収束」したものである。
盛り沢山であり、この辺りで止める。
私たちは、ニュートン的世界観の中に住んでいる。
僅かに、仏教(禅)が「空」、「空性」をいうが禅は、説明を嫌う。
なのでそれは、理屈ではなくなんとなくわかるレベルにすぎない。
ゴスワミ博士の、「空」「色」の関係を「量子論における波でもあり粒子でもある」という説明は、極めて論理的で腑に落ちる。
理論は、進歩しても古人の直観は確かそうだ。

本日の相場・経済オチ

躍進ビットコインに戦慄する米政府、金融機関

ゴルゴ13でネタにされていましたね。
金融資本が金利と国債を使って大衆を利子で搾取することができない。
中央銀行を経由せず金融政策と無関係に発行される通貨。
こんなもん全世界の金融資本と主権国家と中央銀行を敵に回すようなものです。
潰されますよ。

2305 (株)スタジオアリス

年初来高値更新でいよいよ1800円台突入でございます。
信用の取り組みが空売りの踏み上げによって徐々に悪化しているのが気になるところですが、一旦2000円台はかなりあり得る展開でしょう。
私の予測では2000円±150円ぐらいが新たなレンジ相場のボックスになると思います。
そこから上、年内の上場来高値更新は業績次第ですね。

ヨーロッパ中央銀行が踏み切った量的緩和の規模は粉々になるまで噛み砕いて言うと「200麿」に相当


死んだ父が理系出身だったので、わしを理科好きにするためにクリスマスのプレゼントに買い与えられたのですが、わしは全然これに興味を示さず、むしろ妹がこれを使って毎日色々作って遊んでいました。
そのせいかわかりませんが、妹は中学時代から電気いじりが大好きで、日本橋に親父と行っては色々部品を買ってきては真空管アンプなどを作り、国立大学の工学部電気科に現役で入ることができました。
先日復刻版が販売されているのを見つけて、ああそういえばこれ妹が大好きだったなぁと思い出しました。
小学校高学年から中学生お子さんを理系好きにするのにいいおもちゃだと思います。

↓この読者レビューが秀逸
量子論は、ニュートン以来の古典理論と異なり相反するレベルの存在を許す。, 2015/1/17

著者は、インド出身の量子物理学者でありヒンドゥーの教えを知悉している。
プルシャ(可能性領域=無形領域=無時間=過去・現在・未来の同時存在=確率的)及びプラクリティ(あらゆる事物に展開できる可能性=物理的原理=時間・空間の領域)である。
それは、仏教(禅)とも通底する。
無形領域は、「空」、「空性」でありこの二つの関係性を縁起(原因と結果の相関性)という。
ニュートン的思考では、その物体の一つの側面しか見ることができないが無形領域を視野に入れると多くの側面を同時に処理することができる。
公案に、「隻手の声」というのがある。一方の手は、無形領域にある。
道元は、「一方を証するときは一方はくらし」といった。
無形領域は、隠れているが私たちが「観察する」(=対象化する)とき事物が粒子として場所が特定される。「収束」して顕れる。空色同時現成である。
「波」は、拡がることができ同時に二つ以上の場所に存在することが可能である。
「粒子」は、一つの定まった場所(時空)に存在する。
「波」は、無形領域に存在しそこは時間・空間がなく過去・現在・未来が同時存在する。
「粒子」(=物質)は、現実の世界で時間・空間・経過する時間の物理的原理が支配している。
無形領域に於けるコミュニケーションは、媒介物を必要としない。非局所性(=前後の関連性がない)であり瞬時に起きる。その領域は、ワンネス(=一)である。
ニュートン的思考とは異なり量子論・禅は、二つの相反するレベルの存在を許す(=双対性)。
量子的跳躍と「悟り」は似ている。
そこに至るには、一方でフォーカスし同時に直観・感覚が開かれている必要がある。
ものごとが連続して見えるのは、私たちの「予測の産物」にすぎない。
私たちの時間・認識・記憶も、ニュートン的思考の産物である。
生命は、無限の可能性領域(=無形領域)から自己創出(オートポイエーシス)により生まれた。
同時に生まれた環境(非生命)は、それを持たなかった。ワンネスは、経験するためそこから分離してこの世を創った。
生命(含む単細胞)誕生以前は、可能性領域のみで時間・空間はなかった。
なので、生命誕生以前(ビッグバン以降)の歴史(時間・空間)は後付けで作られた。ビッグバン以降がなければ生命誕生は有り得ないからである。マイクロ波背景輻射は、ビッグバンの記憶といえ私たちはそれを見ることができる。
生命は、無形領域と物理的世界を繋いでいる。
ニュートン物理学では、月はいつでも具体物として存在しているが量子物理学では、毎瞬毎瞬月は存在しているわけではなくその可能性だけがある。「観察」しないと「収束」しないのである。私たちは、無形領域を出たり入ったりしている。ただ、現実が記憶・予測と余りにも近いので連続しているように見えるのである。だが、何もかも常に変化しているのだ。
ゴスワミ博士は、無我の境地を「量子的自己」と名付けている。
ダイナミックで固定化されていない<わたし>である。それが何であるかは定義できない。
創造的・非連続的・共時的・総合的・ノンローカル・トランスパーソナルで循環する階層である。参考までに、日常のわたしは、論理的・連続的・決定論的・線形的、ローカル・個人で単純な階層である。
「感情」は、思考のなかの観念や思い込みの影響即ち脳によって「五感による感覚」に意味づけされたものである。五感+意味(思考)の産物なので元々の純粋な五感感覚に敏感でなければならない。
「感情」にもビッグバンののような歴史がある。それは、時間を遡って「収束」したものである。
盛り沢山であり、この辺りで止める。
私たちは、ニュートン的世界観の中に住んでいる。
僅かに、仏教(禅)が「空」、「空性」をいうが禅は、説明を嫌う。
なのでそれは、理屈ではなくなんとなくわかるレベルにすぎない。
ゴスワミ博士の、「空」「色」の関係を「量子論における波でもあり粒子でもある」という説明は、極めて論理的で腑に落ちる。
理論は、進歩しても古人の直観は確かそうだ。

本日のサイエンスオチ

映画『エックス・マキナ』はどれだけ真実に近いか

火山活動さかんな西之島 東側に新たな陸地を形成

日本の国土が広がっているな。

巨大小惑星、地球に最接近へ

マリオが自己学習し感情さえも持つ人工知能のプロジェクトとは?

AIに感情なんてバグを実装させるな、ばか。「カスパ-が裏切った? 母さん・・・娘より自分の男を選ぶのね・・・」

「赤木リツコ君。本当に・・・・・・・ばかだねぇ」


死んだ父が理系出身だったので、わしを理科好きにするためにクリスマスのプレゼントに買い与えられたのですが、わしは全然これに興味を示さず、むしろ妹がこれを使って毎日色々作って遊んでいました。
そのせいかわかりませんが、妹は中学時代から電気いじりが大好きで、日本橋に親父と行っては色々部品を買ってきては真空管アンプなどを作り、国立大学の工学部電気科に現役で入ることができました。
先日復刻版が販売されているのを見つけて、ああそういえばこれ妹が大好きだったなぁと思い出しました。
小学校高学年から中学生お子さんを理系好きにするのにいいおもちゃだと思います。

↓この読者レビューが秀逸
量子論は、ニュートン以来の古典理論と異なり相反するレベルの存在を許す。, 2015/1/17

著者は、インド出身の量子物理学者でありヒンドゥーの教えを知悉している。
プルシャ(可能性領域=無形領域=無時間=過去・現在・未来の同時存在=確率的)及びプラクリティ(あらゆる事物に展開できる可能性=物理的原理=時間・空間の領域)である。
それは、仏教(禅)とも通底する。
無形領域は、「空」、「空性」でありこの二つの関係性を縁起(原因と結果の相関性)という。
ニュートン的思考では、その物体の一つの側面しか見ることができないが無形領域を視野に入れると多くの側面を同時に処理することができる。
公案に、「隻手の声」というのがある。一方の手は、無形領域にある。
道元は、「一方を証するときは一方はくらし」といった。
無形領域は、隠れているが私たちが「観察する」(=対象化する)とき事物が粒子として場所が特定される。「収束」して顕れる。空色同時現成である。
「波」は、拡がることができ同時に二つ以上の場所に存在することが可能である。
「粒子」は、一つの定まった場所(時空)に存在する。
「波」は、無形領域に存在しそこは時間・空間がなく過去・現在・未来が同時存在する。
「粒子」(=物質)は、現実の世界で時間・空間・経過する時間の物理的原理が支配している。
無形領域に於けるコミュニケーションは、媒介物を必要としない。非局所性(=前後の関連性がない)であり瞬時に起きる。その領域は、ワンネス(=一)である。
ニュートン的思考とは異なり量子論・禅は、二つの相反するレベルの存在を許す(=双対性)。
量子的跳躍と「悟り」は似ている。
そこに至るには、一方でフォーカスし同時に直観・感覚が開かれている必要がある。
ものごとが連続して見えるのは、私たちの「予測の産物」にすぎない。
私たちの時間・認識・記憶も、ニュートン的思考の産物である。
生命は、無限の可能性領域(=無形領域)から自己創出(オートポイエーシス)により生まれた。
同時に生まれた環境(非生命)は、それを持たなかった。ワンネスは、経験するためそこから分離してこの世を創った。
生命(含む単細胞)誕生以前は、可能性領域のみで時間・空間はなかった。
なので、生命誕生以前(ビッグバン以降)の歴史(時間・空間)は後付けで作られた。ビッグバン以降がなければ生命誕生は有り得ないからである。マイクロ波背景輻射は、ビッグバンの記憶といえ私たちはそれを見ることができる。
生命は、無形領域と物理的世界を繋いでいる。
ニュートン物理学では、月はいつでも具体物として存在しているが量子物理学では、毎瞬毎瞬月は存在しているわけではなくその可能性だけがある。「観察」しないと「収束」しないのである。私たちは、無形領域を出たり入ったりしている。ただ、現実が記憶・予測と余りにも近いので連続しているように見えるのである。だが、何もかも常に変化しているのだ。
ゴスワミ博士は、無我の境地を「量子的自己」と名付けている。
ダイナミックで固定化されていない<わたし>である。それが何であるかは定義できない。
創造的・非連続的・共時的・総合的・ノンローカル・トランスパーソナルで循環する階層である。参考までに、日常のわたしは、論理的・連続的・決定論的・線形的、ローカル・個人で単純な階層である。
「感情」は、思考のなかの観念や思い込みの影響即ち脳によって「五感による感覚」に意味づけされたものである。五感+意味(思考)の産物なので元々の純粋な五感感覚に敏感でなければならない。
「感情」にもビッグバンののような歴史がある。それは、時間を遡って「収束」したものである。
盛り沢山であり、この辺りで止める。
私たちは、ニュートン的世界観の中に住んでいる。
僅かに、仏教(禅)が「空」、「空性」をいうが禅は、説明を嫌う。
なのでそれは、理屈ではなくなんとなくわかるレベルにすぎない。
ゴスワミ博士の、「空」「色」の関係を「量子論における波でもあり粒子でもある」という説明は、極めて論理的で腑に落ちる。
理論は、進歩しても古人の直観は確かそうだ。

本日のネタオチ

【悲報】ISIS、オタのエロ画像爆撃に敗北

【ドラゴンボール】亀仙人に18号とのハメ撮り動画を見せて、寝てるマーロンの目の前で18号を犯させるNTR好きのド変態クリリン!【エロ漫画同人誌】

クッソワラタ。これで抜ける奴っているのか?

【マジなんだ】彼女んちで寝てると必ず女の霊が出るようになったんだが・・

うちは彼女さんがわしの部屋で寝ると、壁の向こうに何者かが監視しているような人の気配がします。なんなんだろう。
で、一戦交えてションベンしにトイレに行こうとすると高確率で妹と出くわします。

[メディア]数研出版に社説までもちいて執拗な粘着批判をする朝日新聞~今回の数研出版による教科書記述訂正は極めてまっとうなもの

【イスラム国】後藤健二氏の母「反原発、憲法9条、私の父は朝鮮馬山(マサン)の軍人、地球のために頑張ります」外国人記者「オーマイガー」(動画)

計算した結果、俺は1年という時間か200万のどちらかがあれば働かずに億れるとわかったんだ。でも俺は3か月後に家を追い出される!就活はしてない。俺は就職する気はない。これは半月バイトしてわかったことなんだけど、俺の高潔な精神はあの無為な労働に耐えられない!生活費がない。BNFは初めから種銭が270万あったんでしょ!ざけんなよ。俺だってそんだけあれば資産数百億いくわ。本当に不愉快、許せない格差!!

関連:アルファブロガー伊勢白山道さん「今日も色々な人々を眺めていて感じましたことは、やはり「人間は自分が苦しい時の過ごし方で運命が決まる」ということでした。自分が苦しい時こそが、真剣に、鬼気迫るほどに、思い詰めるほどに自分の問題と向き合っている瞬間です。自分が気楽で楽しい時は、真剣に悩み考えることをしないのが人間です。苦しい時は、自分自身や状況を見詰める大切なチャンスなのです。」


死んだ父が理系出身だったので、わしを理科好きにするためにクリスマスのプレゼントに買い与えられたのですが、わしは全然これに興味を示さず、むしろ妹がこれを使って毎日色々作って遊んでいました。
そのせいかわかりませんが、妹は中学時代から電気いじりが大好きで、日本橋に親父と行っては色々部品を買ってきては真空管アンプなどを作り、国立大学の工学部電気科に現役で入ることができました。
先日復刻版が販売されているのを見つけて、ああそういえばこれ妹が大好きだったなぁと思い出しました。
小学校高学年から中学生お子さんを理系好きにするのにいいおもちゃだと思います。

↓この読者レビューが秀逸
量子論は、ニュートン以来の古典理論と異なり相反するレベルの存在を許す。, 2015/1/17

著者は、インド出身の量子物理学者でありヒンドゥーの教えを知悉している。
プルシャ(可能性領域=無形領域=無時間=過去・現在・未来の同時存在=確率的)及びプラクリティ(あらゆる事物に展開できる可能性=物理的原理=時間・空間の領域)である。
それは、仏教(禅)とも通底する。
無形領域は、「空」、「空性」でありこの二つの関係性を縁起(原因と結果の相関性)という。
ニュートン的思考では、その物体の一つの側面しか見ることができないが無形領域を視野に入れると多くの側面を同時に処理することができる。
公案に、「隻手の声」というのがある。一方の手は、無形領域にある。
道元は、「一方を証するときは一方はくらし」といった。
無形領域は、隠れているが私たちが「観察する」(=対象化する)とき事物が粒子として場所が特定される。「収束」して顕れる。空色同時現成である。
「波」は、拡がることができ同時に二つ以上の場所に存在することが可能である。
「粒子」は、一つの定まった場所(時空)に存在する。
「波」は、無形領域に存在しそこは時間・空間がなく過去・現在・未来が同時存在する。
「粒子」(=物質)は、現実の世界で時間・空間・経過する時間の物理的原理が支配している。
無形領域に於けるコミュニケーションは、媒介物を必要としない。非局所性(=前後の関連性がない)であり瞬時に起きる。その領域は、ワンネス(=一)である。
ニュートン的思考とは異なり量子論・禅は、二つの相反するレベルの存在を許す(=双対性)。
量子的跳躍と「悟り」は似ている。
そこに至るには、一方でフォーカスし同時に直観・感覚が開かれている必要がある。
ものごとが連続して見えるのは、私たちの「予測の産物」にすぎない。
私たちの時間・認識・記憶も、ニュートン的思考の産物である。
生命は、無限の可能性領域(=無形領域)から自己創出(オートポイエーシス)により生まれた。
同時に生まれた環境(非生命)は、それを持たなかった。ワンネスは、経験するためそこから分離してこの世を創った。
生命(含む単細胞)誕生以前は、可能性領域のみで時間・空間はなかった。
なので、生命誕生以前(ビッグバン以降)の歴史(時間・空間)は後付けで作られた。ビッグバン以降がなければ生命誕生は有り得ないからである。マイクロ波背景輻射は、ビッグバンの記憶といえ私たちはそれを見ることができる。
生命は、無形領域と物理的世界を繋いでいる。
ニュートン物理学では、月はいつでも具体物として存在しているが量子物理学では、毎瞬毎瞬月は存在しているわけではなくその可能性だけがある。「観察」しないと「収束」しないのである。私たちは、無形領域を出たり入ったりしている。ただ、現実が記憶・予測と余りにも近いので連続しているように見えるのである。だが、何もかも常に変化しているのだ。
ゴスワミ博士は、無我の境地を「量子的自己」と名付けている。
ダイナミックで固定化されていない<わたし>である。それが何であるかは定義できない。
創造的・非連続的・共時的・総合的・ノンローカル・トランスパーソナルで循環する階層である。参考までに、日常のわたしは、論理的・連続的・決定論的・線形的、ローカル・個人で単純な階層である。
「感情」は、思考のなかの観念や思い込みの影響即ち脳によって「五感による感覚」に意味づけされたものである。五感+意味(思考)の産物なので元々の純粋な五感感覚に敏感でなければならない。
「感情」にもビッグバンののような歴史がある。それは、時間を遡って「収束」したものである。
盛り沢山であり、この辺りで止める。
私たちは、ニュートン的世界観の中に住んでいる。
僅かに、仏教(禅)が「空」、「空性」をいうが禅は、説明を嫌う。
なのでそれは、理屈ではなくなんとなくわかるレベルにすぎない。
ゴスワミ博士の、「空」「色」の関係を「量子論における波でもあり粒子でもある」という説明は、極めて論理的で腑に落ちる。
理論は、進歩しても古人の直観は確かそうだ。

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