2015年1月26日月曜日

本日のサイエンスオチ

知性を「クラウド化」し、死から解放される未来

昔はパソコンを買い換えたらituneの曲の移行作業って大変でしたが、iクラウドが誕生してからほんと簡単になりました。
グーグルやキンドルのアプリや購入した動画なんかも、端末ではインターネット経由で見るだけで、端末のストレージに常時保存しておく必要はありません。ですから買い替えても環境の移行なんかは簡単です。
ところで、人間の人格なんて、所詮記憶の集積なのですから、パソコンの環境設定やアプリのデーターとどこが変わるのか?と言えば何の違いもないのです。
量子コンピューターが実用化されたら、別にマトリックスのように本体はカプセルで培養しなくても、肉体から人格の設定ファイルだけをリッピングして量子コンピューターの仮想空間上でエミュレートできると思います。
ということは、あなたが今生きていると信じている「世界」や死後に行くと言われている天国地獄も量子コンピューターの仮想空間上の世界かもしれません。


死んだ父が理系出身だったので、わしを理科好きにするためにクリスマスのプレゼントに買い与えられたのですが、わしは全然これに興味を示さず、むしろ妹がこれを使って毎日色々作って遊んでいました。
そのせいかわかりませんが、妹は中学時代から電気いじりが大好きで、日本橋に親父と行っては色々部品を買ってきては真空管アンプなどを作り、国立大学の工学部電気科に現役で入ることができました。
先日復刻版が販売されているのを見つけて、ああそういえばこれ妹が大好きだったなぁと思い出しました。
小学校高学年から中学生お子さんを理系好きにするのにいいおもちゃだと思います。

↓この読者レビューが秀逸
量子論は、ニュートン以来の古典理論と異なり相反するレベルの存在を許す。, 2015/1/17

著者は、インド出身の量子物理学者でありヒンドゥーの教えを知悉している。
プルシャ(可能性領域=無形領域=無時間=過去・現在・未来の同時存在=確率的)及びプラクリティ(あらゆる事物に展開できる可能性=物理的原理=時間・空間の領域)である。
それは、仏教(禅)とも通底する。
無形領域は、「空」、「空性」でありこの二つの関係性を縁起(原因と結果の相関性)という。
ニュートン的思考では、その物体の一つの側面しか見ることができないが無形領域を視野に入れると多くの側面を同時に処理することができる。
公案に、「隻手の声」というのがある。一方の手は、無形領域にある。
道元は、「一方を証するときは一方はくらし」といった。
無形領域は、隠れているが私たちが「観察する」(=対象化する)とき事物が粒子として場所が特定される。「収束」して顕れる。空色同時現成である。
「波」は、拡がることができ同時に二つ以上の場所に存在することが可能である。
「粒子」は、一つの定まった場所(時空)に存在する。
「波」は、無形領域に存在しそこは時間・空間がなく過去・現在・未来が同時存在する。
「粒子」(=物質)は、現実の世界で時間・空間・経過する時間の物理的原理が支配している。
無形領域に於けるコミュニケーションは、媒介物を必要としない。非局所性(=前後の関連性がない)であり瞬時に起きる。その領域は、ワンネス(=一)である。
ニュートン的思考とは異なり量子論・禅は、二つの相反するレベルの存在を許す(=双対性)。
量子的跳躍と「悟り」は似ている。
そこに至るには、一方でフォーカスし同時に直観・感覚が開かれている必要がある。
ものごとが連続して見えるのは、私たちの「予測の産物」にすぎない。
私たちの時間・認識・記憶も、ニュートン的思考の産物である。
生命は、無限の可能性領域(=無形領域)から自己創出(オートポイエーシス)により生まれた。
同時に生まれた環境(非生命)は、それを持たなかった。ワンネスは、経験するためそこから分離してこの世を創った。
生命(含む単細胞)誕生以前は、可能性領域のみで時間・空間はなかった。
なので、生命誕生以前(ビッグバン以降)の歴史(時間・空間)は後付けで作られた。ビッグバン以降がなければ生命誕生は有り得ないからである。マイクロ波背景輻射は、ビッグバンの記憶といえ私たちはそれを見ることができる。
生命は、無形領域と物理的世界を繋いでいる。
ニュートン物理学では、月はいつでも具体物として存在しているが量子物理学では、毎瞬毎瞬月は存在しているわけではなくその可能性だけがある。「観察」しないと「収束」しないのである。私たちは、無形領域を出たり入ったりしている。ただ、現実が記憶・予測と余りにも近いので連続しているように見えるのである。だが、何もかも常に変化しているのだ。
ゴスワミ博士は、無我の境地を「量子的自己」と名付けている。
ダイナミックで固定化されていない<わたし>である。それが何であるかは定義できない。
創造的・非連続的・共時的・総合的・ノンローカル・トランスパーソナルで循環する階層である。参考までに、日常のわたしは、論理的・連続的・決定論的・線形的、ローカル・個人で単純な階層である。
「感情」は、思考のなかの観念や思い込みの影響即ち脳によって「五感による感覚」に意味づけされたものである。五感+意味(思考)の産物なので元々の純粋な五感感覚に敏感でなければならない。
「感情」にもビッグバンののような歴史がある。それは、時間を遡って「収束」したものである。
盛り沢山であり、この辺りで止める。
私たちは、ニュートン的世界観の中に住んでいる。
僅かに、仏教(禅)が「空」、「空性」をいうが禅は、説明を嫌う。
なのでそれは、理屈ではなくなんとなくわかるレベルにすぎない。
ゴスワミ博士の、「空」「色」の関係を「量子論における波でもあり粒子でもある」という説明は、極めて論理的で腑に落ちる。
理論は、進歩しても古人の直観は確かそうだ。

本日の健康オチ

【朗報】ドイツの裁判所 男性が便器の前で立って小便する権利を認める

初めてセックスしたけど難しすぎワロタwwww

わしみたいに数歳年上のおねぇさんにリードしてもらうとよか。
そこ舐めて、ここいじってと色々教えてくれるぞ。
フェラで一本抜かれた後に童貞喪失すると持続時間長~

酔いつぶれてしまった龍鳳を部屋まで送ることになった提督だが…一方、仕事に忙殺されている提督を元気付けようとする天津風は…【エロ漫画・同人誌】

関連:サヨク「艦これは加害の問題を無視した最たる例」「別の立場から見れば傷つく人がいることを想像しないのか」


死んだ父が理系出身だったので、わしを理科好きにするためにクリスマスのプレゼントに買い与えられたのですが、わしは全然これに興味を示さず、むしろ妹がこれを使って毎日色々作って遊んでいました。
そのせいかわかりませんが、妹は中学時代から電気いじりが大好きで、日本橋に親父と行っては色々部品を買ってきては真空管アンプなどを作り、国立大学の工学部電気科に現役で入ることができました。
先日復刻版が販売されているのを見つけて、ああそういえばこれ妹が大好きだったなぁと思い出しました。
小学校高学年から中学生お子さんを理系好きにするのにいいおもちゃだと思います。

↓この読者レビューが秀逸
量子論は、ニュートン以来の古典理論と異なり相反するレベルの存在を許す。, 2015/1/17

著者は、インド出身の量子物理学者でありヒンドゥーの教えを知悉している。
プルシャ(可能性領域=無形領域=無時間=過去・現在・未来の同時存在=確率的)及びプラクリティ(あらゆる事物に展開できる可能性=物理的原理=時間・空間の領域)である。
それは、仏教(禅)とも通底する。
無形領域は、「空」、「空性」でありこの二つの関係性を縁起(原因と結果の相関性)という。
ニュートン的思考では、その物体の一つの側面しか見ることができないが無形領域を視野に入れると多くの側面を同時に処理することができる。
公案に、「隻手の声」というのがある。一方の手は、無形領域にある。
道元は、「一方を証するときは一方はくらし」といった。
無形領域は、隠れているが私たちが「観察する」(=対象化する)とき事物が粒子として場所が特定される。「収束」して顕れる。空色同時現成である。
「波」は、拡がることができ同時に二つ以上の場所に存在することが可能である。
「粒子」は、一つの定まった場所(時空)に存在する。
「波」は、無形領域に存在しそこは時間・空間がなく過去・現在・未来が同時存在する。
「粒子」(=物質)は、現実の世界で時間・空間・経過する時間の物理的原理が支配している。
無形領域に於けるコミュニケーションは、媒介物を必要としない。非局所性(=前後の関連性がない)であり瞬時に起きる。その領域は、ワンネス(=一)である。
ニュートン的思考とは異なり量子論・禅は、二つの相反するレベルの存在を許す(=双対性)。
量子的跳躍と「悟り」は似ている。
そこに至るには、一方でフォーカスし同時に直観・感覚が開かれている必要がある。
ものごとが連続して見えるのは、私たちの「予測の産物」にすぎない。
私たちの時間・認識・記憶も、ニュートン的思考の産物である。
生命は、無限の可能性領域(=無形領域)から自己創出(オートポイエーシス)により生まれた。
同時に生まれた環境(非生命)は、それを持たなかった。ワンネスは、経験するためそこから分離してこの世を創った。
生命(含む単細胞)誕生以前は、可能性領域のみで時間・空間はなかった。
なので、生命誕生以前(ビッグバン以降)の歴史(時間・空間)は後付けで作られた。ビッグバン以降がなければ生命誕生は有り得ないからである。マイクロ波背景輻射は、ビッグバンの記憶といえ私たちはそれを見ることができる。
生命は、無形領域と物理的世界を繋いでいる。
ニュートン物理学では、月はいつでも具体物として存在しているが量子物理学では、毎瞬毎瞬月は存在しているわけではなくその可能性だけがある。「観察」しないと「収束」しないのである。私たちは、無形領域を出たり入ったりしている。ただ、現実が記憶・予測と余りにも近いので連続しているように見えるのである。だが、何もかも常に変化しているのだ。
ゴスワミ博士は、無我の境地を「量子的自己」と名付けている。
ダイナミックで固定化されていない<わたし>である。それが何であるかは定義できない。
創造的・非連続的・共時的・総合的・ノンローカル・トランスパーソナルで循環する階層である。参考までに、日常のわたしは、論理的・連続的・決定論的・線形的、ローカル・個人で単純な階層である。
「感情」は、思考のなかの観念や思い込みの影響即ち脳によって「五感による感覚」に意味づけされたものである。五感+意味(思考)の産物なので元々の純粋な五感感覚に敏感でなければならない。
「感情」にもビッグバンののような歴史がある。それは、時間を遡って「収束」したものである。
盛り沢山であり、この辺りで止める。
私たちは、ニュートン的世界観の中に住んでいる。
僅かに、仏教(禅)が「空」、「空性」をいうが禅は、説明を嫌う。
なのでそれは、理屈ではなくなんとなくわかるレベルにすぎない。
ゴスワミ博士の、「空」「色」の関係を「量子論における波でもあり粒子でもある」という説明は、極めて論理的で腑に落ちる。
理論は、進歩しても古人の直観は確かそうだ。

本日のリーベンオチ

消費税をいっきに3%も上げたのは大きな過ちだったが神風が吹いた

【イスラム国】生活の党と山本太郎となかまたち・小沢一郎代表「日本も敵だと捉えられても仕方ない。支援表明はイスラム国には宣戦布告とも言える」

【イスラム国】民主党・有田芳生「日本はいま戦後もっとも危険な首相が政治のトップにいる。首相は邦人保護のため自衛隊を派遣する法改正に言及した。テロ事件の利用は明らかだ」

【日本共産党行動綱領】一、天皇制の打倒、人民共和政府の樹立。

天皇制の打倒を目標にしているのは新自由主義者も同じだよ。
よくさ、伝統保守のお人好しどもは保守派の大同団結とか言うけどさ、新自由主義者にしてみたら、特定の一家が国家元首を世襲しているのは新規参入障壁の最たるもので、競争原理が働いていない!だから、日本は構造改革が進まない!ということになる。
橋下が以前日本国初代大統領になりたいとか言っていたのはそういうことだよ。
大統領が民選の国家元首を意味することに保守派の一部が気がついて、当時自民や石原慎太郎との連携を模索していた彼はそれを取り下げたけど。
だから、維新には橋下氏・松井氏・谷畑氏らをはじめとする同和地区出身者がたくさん入っているんだよ。
だって考えてみろよ。同和も天皇も同じ封建的身分制度に違いないんだけど、一方は差別されて、一方は尊敬を受ける。
そして共通するのが、その地位が遺伝によって受け継がれるということ。
部落解放同盟に部落民になりたいんですが・・・と申請しに行ったら、多分皮革や食肉加工の会社に新たに勤務することになった新卒の平民でもたぶん断られる。
それと同様に、天皇家は男系遺伝子による皇位継承にこだわり続けている。
どちらも自分たちの地位が遺伝すると信じている。
だから、同和差別の根絶は天皇制の根絶とセットだ。
一方だけ残して他方を根絶することなどできないからだ。
ということはこういうことになる。党による統制経済を目指す共産党と、新自由主義者もコインの両面だ。
池田信夫が民主主義による衆愚政治にイライラして強力なリーダーシップを持った政治家による独裁制を支持しているのは別に新自由主義が共産主義の別の側面であるなら理由がないことでもなんでもない。

日本の「お客様は神様」精神もうやめね?

相次ぐ土下座強要事件の背後には間違いなくこれがあるわな。
売る側も客の方も両方ともそう思っているもの。
しかし実際はそんなものは人類社会では普遍的なものでもなんでもない。欧米のチップ文化を見たらわかるだろう。
すき家で飯食ってる奴がファミレスどころかホテルのレストランと同等のサービスを求める、そして企業側もそれを許しているのが問題だ。
以前コストコに行ったとき、「自分でレジに商品を載せろとかお前のところは客商売の基本がなってない、従業員は制服も着ないでTシャツで仕事をしているし、レジ袋もないのか?」とゴネていた団塊オーバーを見たことがあるが、「一円でもお安く提供するために、うちはそういうやり方なんです。気に入らないのでしたら他所行って下さい」で済む話。
余談だが、団塊が民度の低いゴネ方をする特定民族に同情的なのは、企業の中で仕事の成果というより、年功序列と社内政治で培われてきた自分たちのメンタリティがあいつらに似ているからではないのか。


死んだ父が理系出身だったので、わしを理科好きにするためにクリスマスのプレゼントに買い与えられたのですが、わしは全然これに興味を示さず、むしろ妹がこれを使って毎日色々作って遊んでいました。
そのせいかわかりませんが、妹は中学時代から電気いじりが大好きで、日本橋に親父と行っては色々部品を買ってきては真空管アンプなどを作り、国立大学の工学部電気科に現役で入ることができました。
先日復刻版が販売されているのを見つけて、ああそういえばこれ妹が大好きだったなぁと思い出しました。
小学校高学年から中学生お子さんを理系好きにするのにいいおもちゃだと思います。

↓この読者レビューが秀逸
量子論は、ニュートン以来の古典理論と異なり相反するレベルの存在を許す。, 2015/1/17

著者は、インド出身の量子物理学者でありヒンドゥーの教えを知悉している。
プルシャ(可能性領域=無形領域=無時間=過去・現在・未来の同時存在=確率的)及びプラクリティ(あらゆる事物に展開できる可能性=物理的原理=時間・空間の領域)である。
それは、仏教(禅)とも通底する。
無形領域は、「空」、「空性」でありこの二つの関係性を縁起(原因と結果の相関性)という。
ニュートン的思考では、その物体の一つの側面しか見ることができないが無形領域を視野に入れると多くの側面を同時に処理することができる。
公案に、「隻手の声」というのがある。一方の手は、無形領域にある。
道元は、「一方を証するときは一方はくらし」といった。
無形領域は、隠れているが私たちが「観察する」(=対象化する)とき事物が粒子として場所が特定される。「収束」して顕れる。空色同時現成である。
「波」は、拡がることができ同時に二つ以上の場所に存在することが可能である。
「粒子」は、一つの定まった場所(時空)に存在する。
「波」は、無形領域に存在しそこは時間・空間がなく過去・現在・未来が同時存在する。
「粒子」(=物質)は、現実の世界で時間・空間・経過する時間の物理的原理が支配している。
無形領域に於けるコミュニケーションは、媒介物を必要としない。非局所性(=前後の関連性がない)であり瞬時に起きる。その領域は、ワンネス(=一)である。
ニュートン的思考とは異なり量子論・禅は、二つの相反するレベルの存在を許す(=双対性)。
量子的跳躍と「悟り」は似ている。
そこに至るには、一方でフォーカスし同時に直観・感覚が開かれている必要がある。
ものごとが連続して見えるのは、私たちの「予測の産物」にすぎない。
私たちの時間・認識・記憶も、ニュートン的思考の産物である。
生命は、無限の可能性領域(=無形領域)から自己創出(オートポイエーシス)により生まれた。
同時に生まれた環境(非生命)は、それを持たなかった。ワンネスは、経験するためそこから分離してこの世を創った。
生命(含む単細胞)誕生以前は、可能性領域のみで時間・空間はなかった。
なので、生命誕生以前(ビッグバン以降)の歴史(時間・空間)は後付けで作られた。ビッグバン以降がなければ生命誕生は有り得ないからである。マイクロ波背景輻射は、ビッグバンの記憶といえ私たちはそれを見ることができる。
生命は、無形領域と物理的世界を繋いでいる。
ニュートン物理学では、月はいつでも具体物として存在しているが量子物理学では、毎瞬毎瞬月は存在しているわけではなくその可能性だけがある。「観察」しないと「収束」しないのである。私たちは、無形領域を出たり入ったりしている。ただ、現実が記憶・予測と余りにも近いので連続しているように見えるのである。だが、何もかも常に変化しているのだ。
ゴスワミ博士は、無我の境地を「量子的自己」と名付けている。
ダイナミックで固定化されていない<わたし>である。それが何であるかは定義できない。
創造的・非連続的・共時的・総合的・ノンローカル・トランスパーソナルで循環する階層である。参考までに、日常のわたしは、論理的・連続的・決定論的・線形的、ローカル・個人で単純な階層である。
「感情」は、思考のなかの観念や思い込みの影響即ち脳によって「五感による感覚」に意味づけされたものである。五感+意味(思考)の産物なので元々の純粋な五感感覚に敏感でなければならない。
「感情」にもビッグバンののような歴史がある。それは、時間を遡って「収束」したものである。
盛り沢山であり、この辺りで止める。
私たちは、ニュートン的世界観の中に住んでいる。
僅かに、仏教(禅)が「空」、「空性」をいうが禅は、説明を嫌う。
なのでそれは、理屈ではなくなんとなくわかるレベルにすぎない。
ゴスワミ博士の、「空」「色」の関係を「量子論における波でもあり粒子でもある」という説明は、極めて論理的で腑に落ちる。
理論は、進歩しても古人の直観は確かそうだ。

本日の相場・経済オチ

接客のヒト型ロボット導入へ、19カ国語対応 日本の銀行

2305 (株)スタジオアリス

年初来高値更新でございます。ありがとうございます。

国内ロボット市場、4倍に引き上げ 政府新戦略、医療介護など活用促す

太陽光バブルの次はロボットバブルが国策ですぜ。

投資家「マリオ信じろ」 ECB量的緩和 “妥協の産物”も歓迎
“自動運転車時代”2年後にも到来か グーグルなど開発へアクセル

株やっていて朝香先生の新刊をまだ読んでいない奴なんていないだろうな?

2014年はやっぱり6079エナリスの独壇場だったなwwwwwwwwエネルギー新時代に活躍する新興企業と言うクリーンな会社のイメージ、爆発的な売上高の拡大による成長性、かなり魅力的な新興成長企業に見えるし、実際に投資信託の保有割合も2014年12月時点で8%であることから、個人投資家だけでなく機関投資家をも騙したエナリス。

機関投資家の調査力(笑)。
ところで、うちの彼女さんが言っていましたが、エリナスに懲りたからではないですけど、今、機関投資家と取引する外資系や大手の証券会社で中小型株のアナリストが奪い合いになっています。新卒のアナリスト志望者を中小型株で経験積ませるというのも始まっています。
理由はもう指数連動でバカでも利益が取れる相場ではなくなってきたからです。
これから一部の中小型だけではなく、証券各社の新興などの中小型株へのカバレッヂがどんどん増えていくと思います。
同時に神戸物産のような地方に本社がある一部上場企業へのカバレッジも増えていきます。
今までは大阪本社の会社であっても出張してトップインタビューなどをする予算は何社もまとめて行かないとなかなかおりませんでした。
今後1年ぐらいでこうした銘柄へのプロの買いは間違いなく増加しますので、神戸物産のような水準訂正が見られるでしょう。ああそういえば大阪駅前に本社があるこども写真館の株価が最近。
それにしても大したことがない機関投資家の調査力なんですが、それで株価が動くって面白いよね。

欧州債務危機の終わり PART2


死んだ父が理系出身だったので、わしを理科好きにするためにクリスマスのプレゼントに買い与えられたのですが、わしは全然これに興味を示さず、むしろ妹がこれを使って毎日色々作って遊んでいました。
そのせいかわかりませんが、妹は中学時代から電気いじりが大好きで、日本橋に親父と行っては色々部品を買ってきては真空管アンプなどを作り、国立大学の工学部電気科に現役で入ることができました。
先日復刻版が販売されているのを見つけて、ああそういえばこれ妹が大好きだったなぁと思い出しました。
小学校高学年から中学生お子さんを理系好きにするのにいいおもちゃだと思います。

↓この読者レビューが秀逸
量子論は、ニュートン以来の古典理論と異なり相反するレベルの存在を許す。, 2015/1/17

著者は、インド出身の量子物理学者でありヒンドゥーの教えを知悉している。
プルシャ(可能性領域=無形領域=無時間=過去・現在・未来の同時存在=確率的)及びプラクリティ(あらゆる事物に展開できる可能性=物理的原理=時間・空間の領域)である。
それは、仏教(禅)とも通底する。
無形領域は、「空」、「空性」でありこの二つの関係性を縁起(原因と結果の相関性)という。
ニュートン的思考では、その物体の一つの側面しか見ることができないが無形領域を視野に入れると多くの側面を同時に処理することができる。
公案に、「隻手の声」というのがある。一方の手は、無形領域にある。
道元は、「一方を証するときは一方はくらし」といった。
無形領域は、隠れているが私たちが「観察する」(=対象化する)とき事物が粒子として場所が特定される。「収束」して顕れる。空色同時現成である。
「波」は、拡がることができ同時に二つ以上の場所に存在することが可能である。
「粒子」は、一つの定まった場所(時空)に存在する。
「波」は、無形領域に存在しそこは時間・空間がなく過去・現在・未来が同時存在する。
「粒子」(=物質)は、現実の世界で時間・空間・経過する時間の物理的原理が支配している。
無形領域に於けるコミュニケーションは、媒介物を必要としない。非局所性(=前後の関連性がない)であり瞬時に起きる。その領域は、ワンネス(=一)である。
ニュートン的思考とは異なり量子論・禅は、二つの相反するレベルの存在を許す(=双対性)。
量子的跳躍と「悟り」は似ている。
そこに至るには、一方でフォーカスし同時に直観・感覚が開かれている必要がある。
ものごとが連続して見えるのは、私たちの「予測の産物」にすぎない。
私たちの時間・認識・記憶も、ニュートン的思考の産物である。
生命は、無限の可能性領域(=無形領域)から自己創出(オートポイエーシス)により生まれた。
同時に生まれた環境(非生命)は、それを持たなかった。ワンネスは、経験するためそこから分離してこの世を創った。
生命(含む単細胞)誕生以前は、可能性領域のみで時間・空間はなかった。
なので、生命誕生以前(ビッグバン以降)の歴史(時間・空間)は後付けで作られた。ビッグバン以降がなければ生命誕生は有り得ないからである。マイクロ波背景輻射は、ビッグバンの記憶といえ私たちはそれを見ることができる。
生命は、無形領域と物理的世界を繋いでいる。
ニュートン物理学では、月はいつでも具体物として存在しているが量子物理学では、毎瞬毎瞬月は存在しているわけではなくその可能性だけがある。「観察」しないと「収束」しないのである。私たちは、無形領域を出たり入ったりしている。ただ、現実が記憶・予測と余りにも近いので連続しているように見えるのである。だが、何もかも常に変化しているのだ。
ゴスワミ博士は、無我の境地を「量子的自己」と名付けている。
ダイナミックで固定化されていない<わたし>である。それが何であるかは定義できない。
創造的・非連続的・共時的・総合的・ノンローカル・トランスパーソナルで循環する階層である。参考までに、日常のわたしは、論理的・連続的・決定論的・線形的、ローカル・個人で単純な階層である。
「感情」は、思考のなかの観念や思い込みの影響即ち脳によって「五感による感覚」に意味づけされたものである。五感+意味(思考)の産物なので元々の純粋な五感感覚に敏感でなければならない。
「感情」にもビッグバンののような歴史がある。それは、時間を遡って「収束」したものである。
盛り沢山であり、この辺りで止める。
私たちは、ニュートン的世界観の中に住んでいる。
僅かに、仏教(禅)が「空」、「空性」をいうが禅は、説明を嫌う。
なのでそれは、理屈ではなくなんとなくわかるレベルにすぎない。
ゴスワミ博士の、「空」「色」の関係を「量子論における波でもあり粒子でもある」という説明は、極めて論理的で腑に落ちる。
理論は、進歩しても古人の直観は確かそうだ。

本日の宗主国様・属国オチ

韓国で現代自など国産車離れ…いったい何が? FTAはむしろ“裏目”か

韓国人「素晴らしい」「真の韓国人」 在韓日本大使館に爆破予告電話、73歳の男逮捕

韓国で進む慰安婦像「倍増計画」


死んだ父が理系出身だったので、わしを理科好きにするためにクリスマスのプレゼントに買い与えられたのですが、わしは全然これに興味を示さず、むしろ妹がこれを使って毎日色々作って遊んでいました。
そのせいかわかりませんが、妹は中学時代から電気いじりが大好きで、日本橋に親父と行っては色々部品を買ってきては真空管アンプなどを作り、国立大学の工学部電気科に現役で入ることができました。
先日復刻版が販売されているのを見つけて、ああそういえばこれ妹が大好きだったなぁと思い出しました。
小学校高学年から中学生お子さんを理系好きにするのにいいおもちゃだと思います。

↓この読者レビューが秀逸
量子論は、ニュートン以来の古典理論と異なり相反するレベルの存在を許す。, 2015/1/17

著者は、インド出身の量子物理学者でありヒンドゥーの教えを知悉している。
プルシャ(可能性領域=無形領域=無時間=過去・現在・未来の同時存在=確率的)及びプラクリティ(あらゆる事物に展開できる可能性=物理的原理=時間・空間の領域)である。
それは、仏教(禅)とも通底する。
無形領域は、「空」、「空性」でありこの二つの関係性を縁起(原因と結果の相関性)という。
ニュートン的思考では、その物体の一つの側面しか見ることができないが無形領域を視野に入れると多くの側面を同時に処理することができる。
公案に、「隻手の声」というのがある。一方の手は、無形領域にある。
道元は、「一方を証するときは一方はくらし」といった。
無形領域は、隠れているが私たちが「観察する」(=対象化する)とき事物が粒子として場所が特定される。「収束」して顕れる。空色同時現成である。
「波」は、拡がることができ同時に二つ以上の場所に存在することが可能である。
「粒子」は、一つの定まった場所(時空)に存在する。
「波」は、無形領域に存在しそこは時間・空間がなく過去・現在・未来が同時存在する。
「粒子」(=物質)は、現実の世界で時間・空間・経過する時間の物理的原理が支配している。
無形領域に於けるコミュニケーションは、媒介物を必要としない。非局所性(=前後の関連性がない)であり瞬時に起きる。その領域は、ワンネス(=一)である。
ニュートン的思考とは異なり量子論・禅は、二つの相反するレベルの存在を許す(=双対性)。
量子的跳躍と「悟り」は似ている。
そこに至るには、一方でフォーカスし同時に直観・感覚が開かれている必要がある。
ものごとが連続して見えるのは、私たちの「予測の産物」にすぎない。
私たちの時間・認識・記憶も、ニュートン的思考の産物である。
生命は、無限の可能性領域(=無形領域)から自己創出(オートポイエーシス)により生まれた。
同時に生まれた環境(非生命)は、それを持たなかった。ワンネスは、経験するためそこから分離してこの世を創った。
生命(含む単細胞)誕生以前は、可能性領域のみで時間・空間はなかった。
なので、生命誕生以前(ビッグバン以降)の歴史(時間・空間)は後付けで作られた。ビッグバン以降がなければ生命誕生は有り得ないからである。マイクロ波背景輻射は、ビッグバンの記憶といえ私たちはそれを見ることができる。
生命は、無形領域と物理的世界を繋いでいる。
ニュートン物理学では、月はいつでも具体物として存在しているが量子物理学では、毎瞬毎瞬月は存在しているわけではなくその可能性だけがある。「観察」しないと「収束」しないのである。私たちは、無形領域を出たり入ったりしている。ただ、現実が記憶・予測と余りにも近いので連続しているように見えるのである。だが、何もかも常に変化しているのだ。
ゴスワミ博士は、無我の境地を「量子的自己」と名付けている。
ダイナミックで固定化されていない<わたし>である。それが何であるかは定義できない。
創造的・非連続的・共時的・総合的・ノンローカル・トランスパーソナルで循環する階層である。参考までに、日常のわたしは、論理的・連続的・決定論的・線形的、ローカル・個人で単純な階層である。
「感情」は、思考のなかの観念や思い込みの影響即ち脳によって「五感による感覚」に意味づけされたものである。五感+意味(思考)の産物なので元々の純粋な五感感覚に敏感でなければならない。
「感情」にもビッグバンののような歴史がある。それは、時間を遡って「収束」したものである。
盛り沢山であり、この辺りで止める。
私たちは、ニュートン的世界観の中に住んでいる。
僅かに、仏教(禅)が「空」、「空性」をいうが禅は、説明を嫌う。
なのでそれは、理屈ではなくなんとなくわかるレベルにすぎない。
ゴスワミ博士の、「空」「色」の関係を「量子論における波でもあり粒子でもある」という説明は、極めて論理的で腑に落ちる。
理論は、進歩しても古人の直観は確かそうだ。

本日のネタオチ

後藤健二さんの母親が「ISIS」を「IAEA」と勘違いしていた可能性!?原子力アピール会見にネットで噂広がる

クソワラタ。

反保守反動啓蒙サイトリテラさん「安倍首相はほくそ笑んでる?イスラム国人質事件で「戦争のできる国」づくりが加速!!」

もしそうできるのなら、イスラム国には感謝のしようもない。

反保守反動啓蒙サイトリテラさん「“嫌韓反中本”“ヘイト本”を売る書店員の苦悩とは? 問われる出版社の製造責任!、『中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか』(加瀬英明/ベスト新書)というタイトルは、「在特会が言う『ゴキブリ朝鮮人は死ね』という表現と何が違うのか!韓国人や中国人をジェノサイトしたいという考えが現れている!!こういう本は表現の自由の範囲に入らない!出版規制されなければ!」

【イスラム国人質事件】 I’m not Abe 殺すな!・・・参加者たちは安倍首相の責任を追及するプラカードを手にしながらシュプレヒコールをあげたニダ!

こいつら何総理官邸でデモしてるんだ?精神鑑定が必要だな。イスラム国に文句を言いに行けよ。

【週刊朝日】「日本っていいよね」がブーム あふれる日本アゲの正体とは 肩書は日本人…こんな寒々しい響きだけが残らなければいいが

サヨク「艦これは加害の問題を無視した最たる例」「別の立場から見れば傷つく人がいることを想像しないのか」

わしは艦これといえば、エロ同人しか思い浮かばない。
あ、そうか、これは艦これは形を変えた慰安婦問題だったのですね。


死んだ父が理系出身だったので、わしを理科好きにするためにクリスマスのプレゼントに買い与えられたのですが、わしは全然これに興味を示さず、むしろ妹がこれを使って毎日色々作って遊んでいました。
そのせいかわかりませんが、妹は中学時代から電気いじりが大好きで、日本橋に親父と行っては色々部品を買ってきては真空管アンプなどを作り、国立大学の工学部電気科に現役で入ることができました。
先日復刻版が販売されているのを見つけて、ああそういえばこれ妹が大好きだったなぁと思い出しました。
小学校高学年から中学生お子さんを理系好きにするのにいいおもちゃだと思います。

↓この読者レビューが秀逸
量子論は、ニュートン以来の古典理論と異なり相反するレベルの存在を許す。, 2015/1/17

著者は、インド出身の量子物理学者でありヒンドゥーの教えを知悉している。
プルシャ(可能性領域=無形領域=無時間=過去・現在・未来の同時存在=確率的)及びプラクリティ(あらゆる事物に展開できる可能性=物理的原理=時間・空間の領域)である。
それは、仏教(禅)とも通底する。
無形領域は、「空」、「空性」でありこの二つの関係性を縁起(原因と結果の相関性)という。
ニュートン的思考では、その物体の一つの側面しか見ることができないが無形領域を視野に入れると多くの側面を同時に処理することができる。
公案に、「隻手の声」というのがある。一方の手は、無形領域にある。
道元は、「一方を証するときは一方はくらし」といった。
無形領域は、隠れているが私たちが「観察する」(=対象化する)とき事物が粒子として場所が特定される。「収束」して顕れる。空色同時現成である。
「波」は、拡がることができ同時に二つ以上の場所に存在することが可能である。
「粒子」は、一つの定まった場所(時空)に存在する。
「波」は、無形領域に存在しそこは時間・空間がなく過去・現在・未来が同時存在する。
「粒子」(=物質)は、現実の世界で時間・空間・経過する時間の物理的原理が支配している。
無形領域に於けるコミュニケーションは、媒介物を必要としない。非局所性(=前後の関連性がない)であり瞬時に起きる。その領域は、ワンネス(=一)である。
ニュートン的思考とは異なり量子論・禅は、二つの相反するレベルの存在を許す(=双対性)。
量子的跳躍と「悟り」は似ている。
そこに至るには、一方でフォーカスし同時に直観・感覚が開かれている必要がある。
ものごとが連続して見えるのは、私たちの「予測の産物」にすぎない。
私たちの時間・認識・記憶も、ニュートン的思考の産物である。
生命は、無限の可能性領域(=無形領域)から自己創出(オートポイエーシス)により生まれた。
同時に生まれた環境(非生命)は、それを持たなかった。ワンネスは、経験するためそこから分離してこの世を創った。
生命(含む単細胞)誕生以前は、可能性領域のみで時間・空間はなかった。
なので、生命誕生以前(ビッグバン以降)の歴史(時間・空間)は後付けで作られた。ビッグバン以降がなければ生命誕生は有り得ないからである。マイクロ波背景輻射は、ビッグバンの記憶といえ私たちはそれを見ることができる。
生命は、無形領域と物理的世界を繋いでいる。
ニュートン物理学では、月はいつでも具体物として存在しているが量子物理学では、毎瞬毎瞬月は存在しているわけではなくその可能性だけがある。「観察」しないと「収束」しないのである。私たちは、無形領域を出たり入ったりしている。ただ、現実が記憶・予測と余りにも近いので連続しているように見えるのである。だが、何もかも常に変化しているのだ。
ゴスワミ博士は、無我の境地を「量子的自己」と名付けている。
ダイナミックで固定化されていない<わたし>である。それが何であるかは定義できない。
創造的・非連続的・共時的・総合的・ノンローカル・トランスパーソナルで循環する階層である。参考までに、日常のわたしは、論理的・連続的・決定論的・線形的、ローカル・個人で単純な階層である。
「感情」は、思考のなかの観念や思い込みの影響即ち脳によって「五感による感覚」に意味づけされたものである。五感+意味(思考)の産物なので元々の純粋な五感感覚に敏感でなければならない。
「感情」にもビッグバンののような歴史がある。それは、時間を遡って「収束」したものである。
盛り沢山であり、この辺りで止める。
私たちは、ニュートン的世界観の中に住んでいる。
僅かに、仏教(禅)が「空」、「空性」をいうが禅は、説明を嫌う。
なのでそれは、理屈ではなくなんとなくわかるレベルにすぎない。
ゴスワミ博士の、「空」「色」の関係を「量子論における波でもあり粒子でもある」という説明は、極めて論理的で腑に落ちる。
理論は、進歩しても古人の直観は確かそうだ。

本日の国際情勢オチ

【速報】 イ ス ラ ム 国  新 た に 韓 国 人 を   拘 束

はいはい、日本のせい、アベのせい。

ギリシャ選挙で急進左派連合が単独過半数目前! ウクライナ情勢緊迫とギリシャ選挙でメルケル首相にとり悪夢の日

覚者知らんもんは知らん先生「話が少し逸れますが、よく言われる「スピリチュアルに目覚めれば世界平和」とかはあり得ないと思います。」

まぁ映画なんだから、悪者も善人もいなければ面白くないし、濡れ場や残酷な戦闘シーンもないとシナリオが単調になってしまうだろ。
ティーカップと観覧車しかない遊園地なんて誰が行くかよ。
自分の基準で絶叫マシーンが悪くて、観覧車が善と言っているのが常人なんだよ。
しかしよく考えてみれば、絶叫マシーンで女の子を怖がらせて距離を縮めることができるから、観覧車でキスやペッティングにもっていける。そして遊園地を出た後ラブホに行くという流れができるわけだ。
いわゆる「悟り」もラブホのセックスみたいなもんじゃないか?
イスラム国の連中もギリシァの急進左派の連中もそれぞれ立派に役割を果たしているよ。

【ISIS】人権の総合商社であられる共産党池内沙織議員、のりこえねっと代表辛淑玉が心酔する自由と平等のイスラム国 姦通罪で少女を石打死刑

石殺しはイスラム教が誕生する以前から、中東の伝統ですよ。ほら、聖書にもキリストが姦淫で捕まえられてきたマグダラのマリアを石殺しにするべきかどうかと尋ねられて、まず罪なきものが石を投げよと言った話が有名でしょう?
左翼はほんとばかですよ。
このアナグニズムに覆われた中東を9.11を利用して全て民主化しようというアメリカのブッシュ政権が推し進めた戦争の足を国を問わず散々足引っ張ったのですから。
民主化した中東とイスラム国の中東ではどちらがマシだったか。
でもしかし歴史はなるようにしかならなかったということですな。


死んだ父が理系出身だったので、わしを理科好きにするためにクリスマスのプレゼントに買い与えられたのですが、わしは全然これに興味を示さず、むしろ妹がこれを使って毎日色々作って遊んでいました。
そのせいかわかりませんが、妹は中学時代から電気いじりが大好きで、日本橋に親父と行っては色々部品を買ってきては真空管アンプなどを作り、国立大学の工学部電気科に現役で入ることができました。
先日復刻版が販売されているのを見つけて、ああそういえばこれ妹が大好きだったなぁと思い出しました。
小学校高学年から中学生お子さんを理系好きにするのにいいおもちゃだと思います。

↓この読者レビューが秀逸
量子論は、ニュートン以来の古典理論と異なり相反するレベルの存在を許す。, 2015/1/17

著者は、インド出身の量子物理学者でありヒンドゥーの教えを知悉している。
プルシャ(可能性領域=無形領域=無時間=過去・現在・未来の同時存在=確率的)及びプラクリティ(あらゆる事物に展開できる可能性=物理的原理=時間・空間の領域)である。
それは、仏教(禅)とも通底する。
無形領域は、「空」、「空性」でありこの二つの関係性を縁起(原因と結果の相関性)という。
ニュートン的思考では、その物体の一つの側面しか見ることができないが無形領域を視野に入れると多くの側面を同時に処理することができる。
公案に、「隻手の声」というのがある。一方の手は、無形領域にある。
道元は、「一方を証するときは一方はくらし」といった。
無形領域は、隠れているが私たちが「観察する」(=対象化する)とき事物が粒子として場所が特定される。「収束」して顕れる。空色同時現成である。
「波」は、拡がることができ同時に二つ以上の場所に存在することが可能である。
「粒子」は、一つの定まった場所(時空)に存在する。
「波」は、無形領域に存在しそこは時間・空間がなく過去・現在・未来が同時存在する。
「粒子」(=物質)は、現実の世界で時間・空間・経過する時間の物理的原理が支配している。
無形領域に於けるコミュニケーションは、媒介物を必要としない。非局所性(=前後の関連性がない)であり瞬時に起きる。その領域は、ワンネス(=一)である。
ニュートン的思考とは異なり量子論・禅は、二つの相反するレベルの存在を許す(=双対性)。
量子的跳躍と「悟り」は似ている。
そこに至るには、一方でフォーカスし同時に直観・感覚が開かれている必要がある。
ものごとが連続して見えるのは、私たちの「予測の産物」にすぎない。
私たちの時間・認識・記憶も、ニュートン的思考の産物である。
生命は、無限の可能性領域(=無形領域)から自己創出(オートポイエーシス)により生まれた。
同時に生まれた環境(非生命)は、それを持たなかった。ワンネスは、経験するためそこから分離してこの世を創った。
生命(含む単細胞)誕生以前は、可能性領域のみで時間・空間はなかった。
なので、生命誕生以前(ビッグバン以降)の歴史(時間・空間)は後付けで作られた。ビッグバン以降がなければ生命誕生は有り得ないからである。マイクロ波背景輻射は、ビッグバンの記憶といえ私たちはそれを見ることができる。
生命は、無形領域と物理的世界を繋いでいる。
ニュートン物理学では、月はいつでも具体物として存在しているが量子物理学では、毎瞬毎瞬月は存在しているわけではなくその可能性だけがある。「観察」しないと「収束」しないのである。私たちは、無形領域を出たり入ったりしている。ただ、現実が記憶・予測と余りにも近いので連続しているように見えるのである。だが、何もかも常に変化しているのだ。
ゴスワミ博士は、無我の境地を「量子的自己」と名付けている。
ダイナミックで固定化されていない<わたし>である。それが何であるかは定義できない。
創造的・非連続的・共時的・総合的・ノンローカル・トランスパーソナルで循環する階層である。参考までに、日常のわたしは、論理的・連続的・決定論的・線形的、ローカル・個人で単純な階層である。
「感情」は、思考のなかの観念や思い込みの影響即ち脳によって「五感による感覚」に意味づけされたものである。五感+意味(思考)の産物なので元々の純粋な五感感覚に敏感でなければならない。
「感情」にもビッグバンののような歴史がある。それは、時間を遡って「収束」したものである。
盛り沢山であり、この辺りで止める。
私たちは、ニュートン的世界観の中に住んでいる。
僅かに、仏教(禅)が「空」、「空性」をいうが禅は、説明を嫌う。
なのでそれは、理屈ではなくなんとなくわかるレベルにすぎない。
ゴスワミ博士の、「空」「色」の関係を「量子論における波でもあり粒子でもある」という説明は、極めて論理的で腑に落ちる。
理論は、進歩しても古人の直観は確かそうだ。

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